くまのばしょ

同じ地獄で待つ

親のこと雑記

この間、大学時代の友達と久しぶりに会った。

近況報告をした際に、「親と縁を切っている」という言い方をしていまい、なんとも言えない気まずい雰囲気になってしまった。

親との関係をうまく表現する言葉がなかなか見つからない。私のあたりまえは、他の人のあたりまえと同じだとは限らないからだ。

どう表現すればいいのだろう。折り合いが悪い、仲が悪い、没交渉。連絡をとっていない、くらいが一番良いのかもしれない。

親の私に対する関わりが不適切であった(と私が思っていること)と、私が被害者である(と私が思っていること)を、まわりの人に100%理解してもらわなくても、まわりの人は離れていかないということが、最近やっと分かってきた。証明し続ける必要はないし、必ずしも分かってもらわなくても、居心地の良い関係を続けることはできる。

とはいえ、そもそもこうして親のことがつきまとうこと自体が鬱陶しい。いい加減親のことを許したい。いや、許せないと思うが、諦めたい。どうでもいいものとして、私の中で占める割合を最低限まで減らしたい。いつまでも自分の傷のことばかり考えているのは、子供っぽいしかっこわるい。

早くまっとうな大人になりたい。大人をやろうとしなくても大人でいられるような人に、早くなりたい、私は。

ルカリオについて

ルカリオの話をする。

 

初めてルカリオと会ったのは、小学生のときの友達の家だった。友達の家には大乱闘スマッシュブラザーズがあり、自宅でゲーム禁止令を出されていた私は初めてのゲームに胸を高鳴らせていた。

「キャラクターを選んで戦うんだよ」

友達が教えてくれた。ゲームになじみのなかった私はどのキャラクターもあまりよくわからなかった。時間制限に焦りながらも、青くておなかのあたりがもふもふとしたキャラクターに目がとまった。

「ああ、ルカリオね」

友達が言った。そうか、この強そうでかわいい生き物は「ルカリオ」というんだな。

「でもね」

「見た目ほど強くないんだよね」

私の中で、ルカリオが「見た目ほど強くない」キャラクターとして確立された瞬間だった。その後のスマブラでは操作が分からず当然ボロボロに負けた。

 

ルカリオとの再会は、ポケモンスリープだった。正確には、進化前のリオルと出会った。捕獲した。

ルカリオほどもふもふしていない。持ってくる素材は貴重だが、スキルはいまいち(使いこなせない)。友達の「見た目ほど強くないんだよね」がこだました。

 

そして三度目の正直。ようやっと本家のポケモンを始めた。ポケットモンスターブリリアントダイヤモンド。

ジムリーダー戦でルカリオと戦うことになった。ジムリーダー戦をなめていた。その前のジムリーダー戦が簡単だったからだ。このバトルもルカリオが出てくるまでは余裕だった。アサナンゴーリキーだったと思う。ワンパンだった。楽勝だった。

そして満を持して3体目のルカリオ登場である。

また友達の声が響く。

「見た目ほど強くないんだよね」

なら余裕じゃん。そう思っていた。

 

ドレインパンチ

 

…?

 

手塩にかけて育てたペン様が、ムクバードが、バタバタ倒れていく。

嘘じゃん。

強いじゃん。

なんだよドレインパンチって。おかしいぞ!ずるいぞ!バグだ!(?)

あっという間に全滅した。

 

その後、編成を変えるなど工夫をして何度か挑戦してみたが、いずれも全滅。今はムクバードの進化を目指して草むらを這いずり回る日々だ。

 

ルカリオ

お前、「見た目ほど強くない」んじゃなかったのか。

悪かったよルカリオ

待ってろルカリオ

ムックルを一番強くしてからお前を倒すから。

 

あと友達、お前は許さない。

 

しゃけとば

語り得ぬものを語り続けることについて

 

自分語りをする。

 

家族との折り合いが悪く、数年前に家出同然に実家を出た。

過干渉気味の家族だったこともあり、私が家を出たことはかなりの騒動になり、最終的に一家離散した。

その後精神疾患の診断を受けたり、職を転々としたりして、今に至る。

 

当時に比べれば、今はとても調子が良い。

しかし最近少し困っている。

他人の苦しみがよくわからなくなってきたのだ。

具体的にいうと、配偶者からのDVに苦しむような人、親戚から理不尽な扱いを受けている人が、なぜ家族と縁を切らないのか、理解できなくなってきたのだ。

そればかりか「なんで家出ないの?」「結局その程度なんじゃないの?」と思うことさえある。「私はこんなに苦しんできたのに、お前ときたら」という気持ちが止められないのだ。

 

以前友人にこの話をした時は、「みんなそんなもんじゃない?」と言われた。

それが優しさゆえなのか、本心なのかは分からなかった。

 

私はこの気持ちを持つ自分が好きではない。他人の苦しみ、他人の地獄を土足で踏み荒らすべきではないと思っているからだ。(それは私が両親にされて嫌だったこととよく似ている。)それぞれにはそれぞれの事情があり、「事情ってなんだよ」と言いたくなる気持ちも含めて、踏み荒らすべきではないというのが、マナーであると思う。そのマナーを守っていきたいと思う。

「あれ?」と思う地獄、「もっと頑張れるでしょ?」と思うことに対して、鈍感でありたい。

 

かといって、地獄への言及を避けるべきだとも思わない。共有することが行動につながる可能性は大いにある。語り得ぬものを語り続けること、語り得ぬものをについての語りを聞くことで、救い合えるようでありたい。これは祈りである。勿論、相手への敬意を払うことを前提として。

 

参考文献 野矢茂樹ウィトゲンシュタイン論理哲学論考』を読む』ちくま学芸文庫

 

 

 

まだ読み切れてないんだけどね。

 

しゃけとば

冬が来たときの私へ

・体を温めてください。ハクキンカイロを出してください。

・湯船に肩まで浸かってください。

・寝る前に布団乾燥機で布団を温めてください。

・寝る前に養命酒を飲んでください

・面倒がらずにビタミン剤を飲んでください。

・光療法の板をさぼらず使ってください。

・薬を勝手にやめないでください。頓服、頭痛薬、睡眠薬は欠かさないようにしてください。

・お金で解決できる不調は積極的にお金で解決してください。罪悪感に負けないでください。

・出勤RTAはなんとかなります。出発予定時刻の30分前に起床しても間に合います。諦めないでください。

・できればエアロバイクを漕ぐなど運動をしてください。

熱いお茶を持ち運ぶようにしてください。黒の1Lの水筒を使ってください。無印良品のチャイティーブレンド凍頂烏龍茶などが良いです。

SNSと適度に距離をとってください。自分の感情はmuuteかノートに書くようにしてください。

・カウンセリングをさぼらないでください。毎月は無理でも、隔月で予約を取ってください。

・大きな買い物や決断は可能な限り避けてください。どうしても決めなければいけない時は第三者に相談してください。

・混乱したらルーティンを作ってみてください。

 

・大晦日から正月三が日にかけては要注意です。あらゆる手を使って精神状態の安定を図ってください。

・仕事の進め方や欠勤などについては、A5の黒のロルバーンに書いてあります。そちらを参考にしてください。

 

あなたの一助になりますように。

 

しゃけとば

正月に家にいるのがしんどいすべての人へ

正月に家にいるのがしんどいすべての人へ

しゃけとばです。昨年は大変お世話になりました。今年もよろしくお願いします。

家の空気が最悪で、家にいるのがしんどいのに「正月だから」という理由でどこにも行けなくて追い詰められてる人、いませんか?脱実家するまでの私もまさにそうでした。いつにもまして親が四六時中機嫌悪くて、家庭内が地雷原だった。親の機嫌を損ねないよう細心の注意を払いながら、早く学校始まってくれ、仕事始まってくれってずっと思ってました。
今回はそんなクソ家庭のクソ正月あるあるについて話そうと思います。今苦しい人たちが、「あるある〜笑」ってなって、ちょっとでも気分転換になったら嬉しいなと思います。

そもそも

大前提として、親の機嫌が悪かろうが空気が最悪だろうが、「あなたには何も責任はありません」!!!!!!!親御さんのクソ度が高いほど、彼らはあの手この手で全てをあなたのせいにしてくると思うけど、マジで「あなたには何も責任はありません」。

「私がこんなこと言ったせいで…」とか思うかもしれませんが、安心してください、それはあなたの勘違いです。

というわけで復唱!「私には何の責任もない!!!!」

 

正月クソ親不機嫌あるある その1「駅伝」

というわけで、正月クソ親不機嫌あるある その1 「駅伝」

もっと詳しくいうと、「親の母校が駅伝で勝たないと、超不機嫌になる」。

我が家では毎年これがあるから、駅伝嫌いになっちゃった。ごめんよ駅伝。

もうさあ、知らんのよ。駅伝で負けると不機嫌になるとか。何?意味わかんないんだけど。そんなに勝敗にこだわるならお前が走ってこいよ!

うちは母の母校が父の第一志望で落ちた学校だったから、母の母校が負けて母が悔しがってると、父がそれを見て喜んで煽る、んで母が子供達に八つ当たりするという、カオスな状況だった。お前らどっちもどっちだよ。

そんなんだったから、駅伝期間中は「母の母校マジで勝ってくれ」って祈ってた。文字通り祈ってた。子供からしたら母の機嫌が全てだからね。でも祈りはほとんど通じなかったから、母の母校は単純に弱かったんですかね。知らんけど。

勝ち負けを楽しめない人は、スポーツとか観るの本当にご遠慮願いたい。周りの人の胃が死ぬから。

 

正月クソ親不機嫌あるある その2 「食事」

正月って休みのことが多いじゃないですか。家族みんなで顔を突き合わせてご飯を食べることから逃れることができなくなるんですよ。結果、胃が死ぬ。

食事の席では、主に父がキレていた。キレている理由は不明のことがほとんどだが、「オレを馬鹿にしやがって!」とよく言っていた。誰もそんなことしてないのに(面倒なことになるから)。

んで父がひとしきりキレて食卓がお通夜になり父の気が済んだところで、今度は母がキレる。「あんたたちが余計なこと言うから!」と。何が「余計なこと」だったのか、こちらは1ミリもわかっていない。多分母も分かってなかったと思う。分かる方が無理。

そんな状態で食べるご飯なんて味もしないしただただしんどいだけなんだけど、そうすると母が「折角作ったのに何でそんな不味そうに食べるんだ」ってキレる。そしてご飯を捨てようとする。「こんな家もう出ていく!」と家を出る。子供、泣いて謝る止める。このループが続くのが、正月の食事のしんどいところだった。

ちなみに父ですが、自分がキレた後にどんなに母が暴れても、その時は我関せず、ノーコメントだった。内心母におびえていたんだろうか。

ご飯くらい美味しく食べたかったねえ。

 

正月クソ親不機嫌あるある その3 「親戚との食事会」

我が家の場合は、主に「父方の親戚との食事会」だった。

父の親戚は、父の兄弟の夫婦と、父の母だった。
この親戚と我が家で正月に集まって食事会をすることがあったのだが、食事の席で父は父親戚に毎年キレていた。もちろん理由は不明。

レストランで大声でキレるもんだから他のお客さんから見られるし、ひどい時はお店の方も出てくるしで、子供ながらにもう何の拷問だよ・・・勘弁してくれ…と思っていた。食事会が終わったら終わったで、母から「向こうの家に恥をかかされた!」と八つ当たり付きである。

もうそんなに毎回キレるなら会うなよって思ってたんだけど、父と父親戚はよく会っていた。マジで何だったんだあれは。





以上、正月クソ親あるあるでしたが、いかがだったでしょうか?いかがもクソもねえわ。

みんなの正月クソ親あるあるもコメントで教えていただけたら嬉しいです。
いや、嬉しくはないけど、愚痴の吐き捨て場として使っていただけたら。
Twitterハッシュタグ作ろうかな。「#正月クソ親あるある」とか。みんなでしんどいことは共有出来たらいいなと思う。

逃げ場がないのが本当に辛いよね。親の目を盗んでゲームしたり動画見たり本読んだりして、好きなことができてるといいな。親のお風呂タイムがねらい目です。あとゆっくり眠れているといいな。

2024年もクソ親に負けず生き延びていこうね。

皆様に幸有らんことを。

しゃけとば

 

友人宅のごはんと味覚の練度について

味覚にも練度があることを実感させられた出来事があった。

週末に友人の家にお邪魔して、ご飯をご馳走になった。友人は日本酒を中心にお酒をたくさんコレクションしている人で、お酒を美味しく飲むために数日前から肉塊を仕込むような、それはそれは丁寧な酒飲みだった。

数日前に送られてきたメニューは、

タン先ユッケ

ししとうとナスの焼き浸し

大根と牛タンスジの煮込み

伊勢海老のほぐし身

旬の魚の刺身  

鴨すき焼き風、舞茸のローストを添えて

氷菓

牛タンロースト

だった。

夥しい饗応、という言葉がぴったりで、楽しみな反面怖かった。私はこれらの味がちゃんとわかるのか?と。

 

当日はとても楽しかった。

たくさんの美味しいお酒で程よく酔い、美味しいごはんで満たされていたので、残念ながら具体的なことはあまり覚えていない。昔読んだ小説に「人は本当にうまいものを食べると、笑うことしかできなくなる」ということが書いてあったが、まさにそんな状態だった。

 

その中で覚えていることが、「お酒と食事の相性」「調味料の重要性」「お酒の味の違い」だ。

 

まず、「お酒と食事の相性」だ。

友人は本当にかいがいしい人で、「このおつまみにはこのお酒」「そっち(食事)にはこれ(お酒)」という風に、ペアリングを大変重視していた。すべてのメニューにつき少なくとも2種類はお酒を紹介してくれていたように思う。一方私は、ペアリングはイヤホンにするものしか知らず、「そんなに味変わるもんかね」と思っていた部分もあった。友人ごめんなさい。しかし友人の勧め通りに食事とお酒を合わせると驚いた。食事の味の奥行きが変わったと感じたからだ。食事単体で食べたときに自分が取りこぼしていた味が、お酒によって拾われて味として認識できるようになった、そんな体験だった。

 

次が、「調味料の重要性」だ。

私は元来、「お好みでお使いください」という調味料がどうにも苦手だった。何を、どのタイミングで、どれくらい使えばいいのかわからないし、なにより食事の手を止めるのが面倒くさくて仕方なかった。そのままでも十分美味しいし、私はいいかな、と手を伸ばさないことが多かった。しかし今回の家主の友人は本当にかいがいしい人で、「これ(食事)にはそっち(調味料)をかけるとうまい」ということをたくさん教えてくれた。そしてその通りにした食事は大変美味しく、調味料を使うのが面倒くさいなどと言っていられないほどだった。先のお酒でも述べたが、味の奥行きが全く異なるものになっていった。個人的には生胡椒が一番好きだった。

 

最後は「お酒の味の違い」だ。

私はお酒に強い方ではない。だからお酒をたくさん飲んだ経験は少ない。当然お酒の味の違いもそこまでわかっていなかったし、今もよくわかっていない。ビールは苦くて炭酸がきついので好きではない、くらいの超低解像度だ。だが友人の家ではたくさんのお酒を少しずつ味見させてもらうという大変贅沢な体験をさせてもらったおかげで、「これは美味しい気がする」「こっちはなんか微妙」という好き嫌いぐらいは分かるようになった。わかったからなんだということかもしれないが、知ることができたのは単純にうれしい。

 

これらを踏まえると、味覚を感じ取るにも練度というものが存在するのだなあということを強く感じた。甘味、塩味、酸味、苦味、うま味のそれぞれの中間、グラデーションの部分にも味が存在し、それを感じ取るには訓練が必要だと思った。正直私は味をたくさん取りこぼしていいたと思う。だが、「なにかは分からないがそこになにかがある」ということを感じ取ることができたのはとてもうれしかった。

 

しかしいろいろなお酒を開けてもらえて大変うれしかったのは事実だが、友人はあの開封済みのお酒をどうしたのだろうか。一人で飲み切ったのだろうか。次お邪魔する機会があったら、今度の手土産はヘパリーゼにしようと思う。

【読書】岸見一郎『嫌われる勇気』

【読書】『嫌われる勇気』―アドラー心理学毒親育ちの救済になるか

※前ブログ記事の加筆、修正版

自己啓発本が嫌いだ。

「人は話し方が9割」「人は聞き方が9割」シリーズなんてタイトル考える時点で誰も何も思わなかったのか。足したら18割だろうに。

本書は生きづらさに悩める「青年」と彼を導く「哲人」の対話形式になっている。そしてこの「哲人」が人生を生きやすくするヒントとして「青年」に説くのが、アドラー心理学の教えである。だから本書は、対話形式の読みやすいアドラー心理学解説書と言ってよい。

本書で「哲人」は生きやすくするヒントとして、「人生のすべての悩みは対人関係によるものだ」とし、「他者の期待を満たそうとしない」「他者の課題を切り捨て、自分の課題に集中する」「今この瞬間を生きる」などを挙げていた。。

何かと他人に気を使いがちな毒親育ちにはぴったりの一冊に思えるのだが、読後の感想としては、読んだ人の状況やタイミングによっては劇薬になりかねないと思った。

読み進めて数十ページ、突如、

「あなたの不幸は、あなた自身が「選んだ」もの」

岸見一郎『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』ダイヤモンド社 2013年 p.44

と物騒な記述が登場する。

生きづらさに困って本書に手を伸ばした人間の出鼻をクリティカルに挫いていくスタイルのようだ。

そもそもアドラー心理学はトラウマの存在を認めず、「君そりゃつらい経験をしたね、でもそれは君がいま引きこもっている理由にはならないよ」みたいな考え方をしているため、今精神的に苦しい人がこれを読むと、自責感情でかなりダメージを受けると思われる。

「青年」の友人で職場での人間関係がうまくいかず引きこもりになってしまった人について「哲人」が述べるシーンがあるが、その時の「哲人」の発言も、

「外に出ない」という目的が先にあって、その目的を達成する手段として、不安や恐怖といった感情をこしらえているのです。

岸見一郎『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』ダイヤモンド社 2013年 p.27

である。

仮にその考えが正しいとしても、その考えは今生きづらさの渦中で布団から出られず希死念慮でずたずたの人を救うものではないなと思った。

だから渦中の人は特に、今すぐ読まなくてもよい本だと思う。

 

次に、「言ってることはわかるけど、それが実践できたら苦労せんわ」の気持ちにさせられる。

「生きづらさを楽にする」ことをうたってはいるけれど、具体的な方法は書いてないのである。そもそも本書はハウツー本の顔をして書店に並んではいるが、やっていることは哲学書なのである。

つまり、具体的な解決策が書いてある前提で読むと、

 

筆者「他者の期待を満たすことを第一にしないように!これはあなたの人生です!」

ぼく「それができなくて困ってるんです。何から始めたらよいでしょうか?」

筆者「他者の期待を満たさないようにしましょう!」

 

という事態が起こる。

ハウツー本的な即物性を期待してはいけない。ちなみにハウツー本は思考のショートカットだって昔何かで読んだ。

 

結論。「アドラー心理学毒親育ちの救済になるか」

心が元気になったら、救済になるかもしれない。

つらいときに無理して読むものではないと思う。

アドラー心理学自体は興味深いので、調子がいいときにもう少し勉強したい。

 

おしまい