くまのばしょ

同じ地獄で待つ

それはそれとして弁当問題を思う

【問題】
私が高校生の頃、母親はどんなに母自身の体調が悪くても弁当を作ってくれた。私はそれがとてもしんどかった。しんどかった理由は、

・体調が悪い母を見ているのがつらい。弁当は二の次でよいから、母自身の体をいたわってほしい。
・罪悪感をもつからしんどい
・母の体調が悪いと当たり散らされるため、母には体調を最優先してほしい
・食事に害虫が混入しているから

などが主である。


【考察(想像)】
母はなぜそこまでして弁当を作ったのか

◯私の健康のため
大部分はこれだと思うが、そうであってほしいという私の願いでもある。少なくとも母自身はそう思っていたのではないだろうかと予想される。

◯母の思う「理想の母親像」が「毎日弁当を作る母親」だったから
ちょうど母が不倫をやめて荒れていたころだったので、何かよりどころが欲しかったのかもしれない。それを、理想の母親に求めてもおかしくはない。あくまで想像の域を出ない。

◯家計が火の車だったから
父の仕事がうまくゆかず家計の雲行きが怪しくなっていった時期と一致する。父は NPD の特徴が非常に多くあてはまる人物で、顧客に対してもその特徴を存分に発揮していた。そのため顧客の大量離れが起きていた。母は専業主婦だった。そのような経済状況の中では、購買よりも弁当を選ぶのは当然といえる。


【まとめ】
母の真意は想像するしかないので、私がいくら考えても正解にたどり着くことはできない。弁当を作ってくれていたという事実については感謝できるようになりたい、まだできないけれど。母への感謝の気持ちを持つことと、母の弁当を辛くしんどく思うことは両立しうる。母のことばかり考えがちだが、父親もどうしようもないことを再確認できた。別にしたくはない。