「料理=疲弊」について
本格的に寒くなってきたせいで朝起きるのがつらい。必要最低限のぎりぎりの準備だけして職場に向かうことが多くなり、昼食のお弁当が作れず、外食することが増えた。
その結果、家計を相当圧迫してしまった。大変反省している。
我が家では、うちの人もお弁当を作っている。うちの人からレシピを教えてもらっているので、似たものを作ることが多い。
それにしても、うちの人が料理している様子を見ていると、なんか私と違うことに気づいた。ありていに言うと、全然しんどそうじゃないのだ。
うちの人は料理が得意だし経験値には天と地ほどの差があるが、それを差し引いても、しんどそうじゃない。
不思議に思ったので、なぜ自分は料理をするのがしんどいと感じるのかを考えてみることにした。考えられそうな原因は3つあった。
原因その1「サブタスクが処理できない」
料理はサブタスクが多い。使う道具が多すぎる。
材料を切るのに包丁とまな板が必要で、加熱するのに鍋やフライパンが必要で、かき混ぜるのにお玉やフライ返しが必要で、盛り付けるのに食器が…。
これを調理場の限られたスペースで、フルに活用していくなんて、あまりにも難易度が高い。
料理を「しながら」(←超重要)これらを出したり入れたり洗ったりしまったり、そんなマルチタスクが出来るわけがない。結果、これ以上なく疲弊する。
「料理なんてレシピの通りやればいいのよ」って料理上手な皆さんは教えてくれるけど、違うんです、レシピには使い終わったまな板をどのタイミングで洗えばいか書いてないじゃないですか。そんなの書いてなくて当たり前なんだけど。
これらを「調理」と並行して進めることが出来ず、考えることが多すぎて頭がパンクする。だから料理がしんどいのだ。
原因その2「加熱がわからない」
食材、加熱するとすぐ焦げるから嫌。
火が通る、はわかる。いい焦げ目とダメな焦げの境目がわからない。結果、一瞬たりとも気が抜けなくて疲弊する。
そういえば子供の頃、母に「火が通ったら消して」と言われたが加減がわからなくて焦がしてしまい、えらく怒られたことがあった。
あの時よりはましになったが、それでも加熱とは仲良くなれる気がしない。
原因その3「結局美味しくない」
こんなに気を張って疲弊して作ったのに、結局いまいち美味しくない。
多分味が足りない。塩?でも塩と醤油は入れすぎるとえらいことになるのは経験で知っている。
そもそも調味料を加えることが苦手、飲食店の「ご自由にお取りください」の調味料スペースもあまり活用できない。味が変わることがあまり好きじゃないのか?
実家の母が、作った料理に調味料を足されることに激怒するタイプだったのでそれもあるかも。
全体を通してみると、「料理=疲弊」ととらえている節が多いのがわかった。こんなに疲れるのに完成するものがこれですか、という虚無感、自己否定。
あとやっぱり実家の母が絡んでくることが少なくないので、カウンセリング案件かな?と思っている。
あとは結局成功体験なのかな。しんどいけど、作って食べてを繰り返すしかないのかもしれない。
とりあえず現状は、「おかずオール冷食弁当」を作って、家計の圧迫を食い止めている。
とはいえ「料理=疲弊」の流れはなんとか崩していきたい。正直気は進まない。
だがせめて自分のご飯くらい自分で作れるようになりたい。土井善晴先生も「自分の飯は自分で作れたほうがいいよ(意訳)」って言ってたし。
具体的な目標はないけど、頑張りたいと思う。うん。
おしまい
被害者を降りることについて
書こう書こうと思っていたら、2ヶ月も間が空いてしまった。
調子が悪くなるとまた親のことを思い出す。
最近タイムラインで「被害者という立場に居続けることの危うさを内田樹先生が指摘していた」という趣旨のツイートを見かけた。そのツイートは内田樹先生のブログを受けた内容であった。以下は内田樹先生のブログからの引用である。
「被害者意識を持つ」というのは、「弱者である私」に居着くことである。「強大な何か」によって私は自由を失い、可能性の回かを阻まれ、「自分らしくあること」を許されていない、という文型で自分の現状を一度説明してしまった人間は、その説明に「居着く」ことになる。
私はこれを読んで、「私がやりがちだな…」と反省するとともに、ふと、これは私の母自身のことでもあるのではないかと気づいた。
私は親との関係において、自分は被害者であると思っているし、それを疑っていない。
しかし一方で、母もまた、自分自身のことを被害者だと思っているのではないか。
何度か書いたが、私の母は望んで子をもうけたわけではないようだった。それは私たち兄弟に対して「あんたたちさえいなければ」と度々口にする様子から、ある程度は本当だったのだと思う。おそらく母はこう思っていたのではないだろうか。「私は子供を産ませられた」「子供のせいで自由を奪われた」と。母から自由を奪ったのは配偶者であり子供で、だから私は被害者なのだと。
思い起こせば、母が私を叱る時によく使う言葉は「被害者ぶるな」だった。私にもそのように指摘されるような面があったのかもしれないが、それ以上に母は、自分のことを被害者だと思っていたのかもしれない。だからなおさら私を許せなかったのかもしれない。
何が言いたいかというと、ここまで被害者意識を積み上げてきた母が、自分にも加害者としての要素があったことを認めることは、ほぼ不可能であるということだ。私はまだ母の反省を、謝罪をどこかで期待している。だが、母はおそらく変わらない。もう変われない。それは私が多少強引に実家を離れたところで、変わることはなかったのだ。私は母をあきらめ、見限る必要がある。
私は母との関係において、自分は被害者であると、自信をもって言うことができる。一方で、被害者の立場に「居着く」ことは、何の成長も前進も生まない。「何をされたか、いかに傷ついたか」よりも、「現在の自分への影響」と「その影響を解決する手立て」を探す方が、建設的である。もちろんそれが出来ないからこんなことを書いているわけで、簡単に出来たら苦労はしないのだけど。
あれからもう4年経った。私はもう被害者を降りたいと思う。
おしまい
「ミュウツーの逆襲」と望まれなかったことについて
少し前に、「ミュウツーの逆襲」を観た。
ストーリー展開よりも、サトシの言動をノイズに感じてしまう自分がいて、自分がいかに子供に対して心が狭いかわかってちょっとへこんだ。人間がポケモンに指示を出し、ポケモンがそれに従って戦う、という展開が、どうにも腑に落ちないというか、いやなのだ。ポケモンのゲームで遊ぶ自分のことは棚に上げての発言である。
「ミュウツーの逆襲」を観たのには理由があって、「誰が産めと頼んだ」というミュウツーの発言の文脈を知りたかったからだ。ミームとしての「誰が産めと頼んだ」自体は視聴前から知っており、その発言にそれはもう共感していたわけだけど、引用だけ読んで原典に当たらないのはリテラシー的に良くないでしょうということで、観た。
文脈的には想定を大きく外れることはなかったけど、ミュウツーの業の深さと己の矮小さを比べて恥じた。その節は大変申し訳ございませんでした。
視聴からしばらくたって最近、「A と B は両立する」を考えることがマイブームである。好きでやっているというよりも、カチコチになった認知のゆがみを解凍しようと思って、意識的にそうしている。その中で、「「誰が産めと頼んだ」と怒り憎み続けることと、「生まれてしまった以上自分の人生をちゃんとやる」ことは両立するのではないか?」ということがポップアップした。
母曰く、私は望まない妊娠で生まれたようである。「結婚よりも妊娠が先で、いざ結婚してみた相手はモラハラ旦那と早変わりし、生まれた娘も父親に似た顔をしていて可愛いと思えない」という内容を度々聞かされていた。
虚言癖一歩手前な母だったので、結婚より妊娠が先で~のくだりは今となっては半信半疑だが、幼いころの私は本気で信じていたし、そのような形で生まれたことに罪悪感を感じていた。年を重ねるにつれ、「いや作ったのはあんたらやろがい」という気持ちが芽生えた。「誰が産めと頼んだ」と本気で思っていた。
だが、「誰が産めと頼んだ」は、あまり私を救ってくれなかった。「私はお前を望んでいない、だからお前を大切に扱うのに難儀する」を長年聞かされてきたので、「望まれていない」という事実はひっくり返らないからだ。
そしてそこに罪悪感が上乗せされるため、「自分は大切に扱われるべきものではない」と思っていた。「今ここにいることが喜ばしいことではない」と「今ここにいる自分を雑に扱うこと」が地続きになっていたように思う。
今では、「今ここにいることが喜ばしいことではない」としても、「今ここにいる自分を雑に扱う」必要はないと私は思っている。きっかけなどは特になく、ただ、そうなんだなあ、と思っている。しいて言えば、「今ここにいることが喜ばしいことではない」が「なかった」くらいになったと思う。
望まれなかった過去は変えられないし、そもそも望まなかったのは母という他人による考えなので、「まあしょうがないか」と思うようになった。一方で、自分の人生をやることは、自分がやるしかないので、多少なりとも自分の意志で何とかできる。
生まれさせられ望まれなかったとしても、生かされているわけではない。だから、「だれが産めと頼んだ」という怒りや憎しみと「生まれてしまった以上自分の人生をちゃんとやる」ことは両立しうる、と考えている。
以前書いたものと同じ内容になってしまうが、これは諦めの一種なのだと思う。ネガティブなものではなく、執着を手放す感じに近い。たくさんの「しょうがないか」を受け入れることが練れていくことなんだろうか。思っていた大人になり方とはかけ離れているが、幸せならば OK なのかもしれない。
でも、諦めて手放した先で、残ったものをより大事にできるなら、諦めるのも悪くはないのだと思う。絵にかいた餅かもしれないけれど、その可能性があるのなら、何かもうちょっと頑張ってみようと思った。
おしまい
諦め、あるいは腹を括ることについて
先週、うちのひとが、珍しくしこたま酔っぱらって、飲み会から帰ってきた。
にこにこしながら、
「店主さんと話してねえ、その人に「私の奥さんは教育に対して並々ならぬ熱意を持った人なんです」っていったんだよお」
と言っていた。
それを聞いたときに、
「そうか、私は、他人から見て、教育に熱意を持って取り組もうとしている人間に見えるのか」
と思った。
そのおかげか、最近腹が決まったような気がする。
今まで、仕事に対して、やらされている感があった。高校教員、児童相談所職員、学習塾という職歴の間ずっと、誰に強要されたわけでもないのに、「教育をやらされている」と思い込んでいた節があった。
そのように感じている自分に対して罪悪感もあったし、子どものためにもっと頑張れない自分を自分で責めていた。
「あの先生は休日にも教材研究していると言っていた、それに引き換え私は・・・」とよく考えていた。
だから、そういう人たちに比べれば、自分は努力不足であり、教育に携わるべきではないと思っていた。それでも自分が持っている資格と呼べるものは教員免許しかない、だからとりあえず教育業をやっている。そのことが申し訳ないと思っていたし、罪悪感があった。
教育業を神聖視しすぎていたのかもしれない。
だが、「どうやら私は仕事に対して熱意を持っているように見えるらしい」と感じてからは、「やらされている」と感じることが由来のしんどさからだいぶ解放されている。
まず、とにかく腹が決まった。
うまく言語化できないのだが、ポジティブな「やるしかない」が自分の中に出てくるようになった。諦めともいえるし、責任感ともいえるのかもしれない。とにかく、「この仕事をやる」ということが他人事ではなく自分のことになったように思う。
そうすると、仕事に対して冷静に向き合うことができるようになってきた。今までは、あれもやらなきゃこれもやらなきゃ、全部はできなかっただから私は努力不足だと自分を責めて何かしたことにすることが多かった。仕事の内容は好きでも、仕事をするのがつらかった。
現状では、仕事に対して、効率やら優先順位が、少しだけわかるようになってきた。ような気がする。生徒の様子も以前より冷静に見ることができるようになってきたし、生徒が思うとおりに動かないことが自分の責任ではないことがわかってきた(当たり前のことなのだが今までわかっていなかった)。
また、他者からの要求に対して反射的に対応することが減った。今までは、事務作業中でも生徒から質問を受けるとすぐに対応しなければいけないと思っていた。最近は「5 分だけ待って」が言えるようになっている。今のところ待たせることで何か問題は起きていない。生徒に全コミットすることだけが正義ではないのかもしれないなあと気づいた。
今回うちのひとが言った、
「私の奥さんは教育に対して並々ならぬ熱意を持った人なんです」
は、また別の人から見たら真実ではないかもしれない。だが、うちのひとから見た私は(酔っぱらっていたことを差し引いても)上記に値するものらしいし、私はそれがうれしかった。
この言葉のおかげで私は仕事に少し前向きになっている。自分は単純な人間だなとも思う。どうせ何か言うなら、こんな風に誰かを前向きにできるようなことを、言えるようでありたいと思った。
おしまい
それはそれとして弁当問題を思う
【問題】
私が高校生の頃、母親はどんなに母自身の体調が悪くても弁当を作ってくれた。私はそれがとてもしんどかった。しんどかった理由は、
・体調が悪い母を見ているのがつらい。弁当は二の次でよいから、母自身の体をいたわってほしい。
・罪悪感をもつからしんどい
・母の体調が悪いと当たり散らされるため、母には体調を最優先してほしい
・食事に害虫が混入しているから
などが主である。
【考察(想像)】
母はなぜそこまでして弁当を作ったのか
◯私の健康のため
大部分はこれだと思うが、そうであってほしいという私の願いでもある。少なくとも母自身はそう思っていたのではないだろうかと予想される。
◯母の思う「理想の母親像」が「毎日弁当を作る母親」だったから
ちょうど母が不倫をやめて荒れていたころだったので、何かよりどころが欲しかったのかもしれない。それを、理想の母親に求めてもおかしくはない。あくまで想像の域を出ない。
◯家計が火の車だったから
父の仕事がうまくゆかず家計の雲行きが怪しくなっていった時期と一致する。父は NPD の特徴が非常に多くあてはまる人物で、顧客に対してもその特徴を存分に発揮していた。そのため顧客の大量離れが起きていた。母は専業主婦だった。そのような経済状況の中では、購買よりも弁当を選ぶのは当然といえる。
【まとめ】
母の真意は想像するしかないので、私がいくら考えても正解にたどり着くことはできない。弁当を作ってくれていたという事実については感謝できるようになりたい、まだできないけれど。母への感謝の気持ちを持つことと、母の弁当を辛くしんどく思うことは両立しうる。母のことばかり考えがちだが、父親もどうしようもないことを再確認できた。別にしたくはない。
ACをアイデンティティから引き剥がすために
備忘
【悩みないし困りごと】
・自分ごとの問題の根っこがすべて親との関係に帰結する
・自分を語ろうとすると親との記憶がつきまとう
・都合の悪いことはすべて親とのかかわりのせいにしている気がする
→早く親のことを忘れたい、早く抜けたい、前に進みたい
【考えられる解決策】
AC(アダルトチルドレン)をアイデンティティにしないための努力をする
① 毒親、AC 関連の情報と距離を取る
フラッシュバックはコントロールできないが、思い出しやすい状況を作らないようにコントロールすることは可能。具体的には、Twitter などでむやみにその手の話題に首を突っ込まない。また、そういった話題を通して人とつながったり仲良くしようとすることを避ける。
→この手の話題を避けることは、子供を通じて社会貢献したいという私の祈りと相反する。どうする。
② 明確な趣味を持つ
バッドに入るとフラッシュバックしがちなので、楽しいことをする。それが明確な趣味であるほど、関わるコミュニティも増え、脳の容量を食ってくれるのでなおよいのではないか。
〈候補〉
・歌を上手に歌えるようになる(巻き舌できるようになりたい)
・ドール服を作る(宝塚の衣装を作りたい)
・ゲームで強くなる(スプラ S 帯行きたい)
・リングフィットを習慣化させる
・哲学の勉強をより深める(ヴィトゲンシュタインをちゃんと語れるようになりたい)
→趣味が孤独すぎる。趣味をしている間にフラッシュバックしそう。もっとフットサルとかやれ。友達が出来そうな趣味を作った方が良い。友達が出来そうな趣味って何?要検討
③ 生活をちゃんとする
目の前のことを一つ一つこなすために手を動かせば、頭は空っぽになるのではないか。
〈目標〉
・部屋をきれいにする、綺麗な状態を維持する
・ものを出したらもとあったところに戻す
・いらないものを捨てる
・ものをむやみに増やさない、ちゃんと悩んでから買う
④ その他
嫌な記憶を忘れるのには青魚が効くらしい。
【まとめ】
最終目標は、私が私であることの証左を、親と結びつけずに語れるようになること。親と結びつけて、「もしこの親じゃなかったら」という if を思うことは、何も生まないことを私はもうわかっている。私の性根は、生来のもので、親とは関係がない。ないわけがないが、今はないことにしておく。ないことにしておくための努力をしばらく続けて、どこかでまた様子をみる。多分そのうち、多少は受け入れられるようになると思う。